【地下鉄サリン事件】理系の高学歴者はなぜサリンを撒いたのか??
何だったんだ
- NO.9110627 2020/12/19 22:48
1995年地下鉄サリン事件 なぜ理系の高学歴者は、麻原彰晃にのめり込んだのか - 1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。
事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、やがて教団の犯した事件に関与したとされる信者が次々と逮捕された。
地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。
この事件で同時に起訴され、主張や弁護人の足並みの揃った実行犯である廣瀬健一と豊田亨、それに送迎車の運転手役だった杉本繁郎の3人がいっしょに並んで、同じ法廷の裁判に臨んでいた。
その判決公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。
判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『 私が見た21の死刑判決 』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の1回目。 後編 を読む)
■地下鉄サリン事件の実行犯たち
地下鉄サリン事件──。
渋谷のマンションの一室から、5台の車に分乗して実行役を担当路線の駅に送り、そこから乗り込んだ地下鉄車輛内にサリンを散布して下車。
送迎車は降車駅に先回りして彼らをピックアップすると、再び渋谷に戻る。
標的は霞ケ関。
同駅を通る3路線上下5方面。
散布方法は、新聞紙に包んだサリン入りポリエチレン袋を車床に落とし、尖った傘の先で突いて漏出させると同時に降車するという、単純なものだった。
これが各路線で同時多発的に実行されて、1995年3月20日の東京の朝は、大混乱に陥った。
その時、実際に地下鉄に乗り込んでサリンを撒いたのは、理科系の高学歴者が多かった。
林郁夫も慶応大学を卒業した心臓外科医であったし、また、日比谷線東武動物公園方面往きを担当した豊田亨は東京大学理学部を..【日時】2020年12月19日 17:12
【ソース】文春オンライン
- [匿名さん]